一時的ストーマ、永久ストーマに関わらず、ストーマを造設することで生活スタイルが変わることもあれば、変わらないこともあります。個人差はありますが、ストーマのある生活に慣れるまでに多くの時間がかかる場合もあるかもしれません。どのように対応するかは状況によって異なります。ストーマのある生活を送られている方々のご経験を紹介するストーリーを集めました。参考にしてみてください。
2006年12月、私は仲の良い大勢の友達と一緒に駅のプラットフォームにいました。友人たちは、外国旅行に出発する私を見送りにきてくれていたのです。友人の 1 人 のグスタフはとても楽しかったせいか、私を抱きしめて、メリーゴーランドのように回り始めました。ところが、バランスを崩した彼は、私ともども列車が進入してくる線路上に落下してしまったのです。私は骨盤に重傷を負いました。
私は3週間集中治療室にいましたが、最初の2週間は薬物誘発性の昏睡状態に陥っていました。そのため、私は自分の怪我とその程度がわからなかっただけでなく、自分にストーマがあることもまったく知りませんでした。集中治療室を出る数日前になって初めて、ストーマ袋を交換していた看護師が、私の身体に付いているものが何であるかを簡単に説明してくれました。ストーマの意味を完全に理解できるようになったのは、一般病棟に移ってからでした。私はしばらくショック状態になりました。それまでの人生でストーマ保有者に会ったことなどなく、ストーマについて詳しく知りたいとも思いませんでした。緊急手術であったため、医師は将来ストーマを閉鎖する可能性を残すため、ループ式ストーマを造設してくれたのですが、それによって必然的にストーマのサイズは大きくなり、初めの頃はストーマを見るだけで気分が悪くなったのを覚えています。ストーマがとても醜いと感じ、ストーマ袋の交換時の悪臭に耐えられませんでした。そのことが嫌でたまらず、困惑し、うんざりしていました。
体調が少し改善すると、ストーマケアの看護師がストーマの管理方法を教えにきてくれました。ところが私は、ストーマを見たり触ったりすることが嫌でたまりませんでした。自分で処理できるようになるよう勧められましたが、慣れるまでに大変時間がかかりました。自分で処理できるようになることを周りから求められると、いらいらして、怒りを感じることも少なくありませんでした。ストーマを見るのも触るのも嫌でしたが、しばらく経ってようやく、ストーマを受け入れられるようになったのです。
初めて自分でストーマ袋を交換したときのことを覚えています。その時私は大きな病院に入院し車椅子に座っており、その体験自体に大きな違和感がありました。そしてついに他人の助けを借りずに自分でストーマ袋を交換できるようになり、自分を誇らしく思ったのを覚えています。私はストーマをようやく受け入れられるようになったのです。自分に微笑みかけ、そんなにひどいことではないと思えるようになりました。
現在、ストーマ袋の交換は私が毎日行うことの 一 つにすぎません。ほとんどの場合、何か特別なことをしているという意識はなく、歯を磨いたり、靴紐を結んだりするのと同じ感覚で、自然にストーマの管理をしています。今ではストーマは私の日常生活の一部です。ストーマ管理が自分のすべてを言い表しているとは決して思いませんが、私自身の一部であることは確かです。
私は約7か月入院生活を送りました。その間、家族と友人は親身になってサポートしてくれました。必ず誰かが見守ってくれていたので、孤独を感じたことは一度もありません。両親は私よりもずっと前にストーマについて知らされていました。私は一般病棟に移った後、自分のストーマについて友人に話しました。友人はみな私をサポートしてくれました。ストーマがあることは非常にプライベートなことですが、自分の状態を家族や友人に伝えず、サポートをもらえないままでいるなんて想像もできません。
退院当初は、新しい生活を受け入れるのに精いっぱいで、ストーマがあることを恥ずかしく思っていました。緊急手術の結果、通常より大きなストーマがお腹の上に造設されたため、大型のストーマ袋を使わなければならず、また、特殊なサポート下着でないとストーマ袋を隠すことができませんでした。下着は胸の高さまでを覆う、見た目は非常に悪いものでしたが、ストーマ袋が外から見てわからないという安心感がありました。
私はトラウマカウンセリングを受けました。このカウンセリングは、自分の身体が経験している大きな変化やトラウマを受け入れられるようになるうえで大きな助けとなりました。また、私にとっては身体的イメージの変化が深刻な問題でしたが、カウンセリングによって救われたと言っても過言ではありません。
私は、以前とは少し異なる暮らし方を覚えなければなりませんでした。たとえば、十分な装具を常備し、トイレの場所を把握しておくことなどです。時間が経つにつれ、このことも自然な習慣になりました。当初は、ストーマを持っているということで生活が大きく制限され、特に社会生活が大きく変わるだろうと考えていましたが、今はそれが間違いでだったと心から言えます。今も普段どおりに社会生活を楽しみ、休暇に旅行へ出かけたり、友人の家に泊まったり、クラブに繰り出したり、周りと同じように普段の生活を満喫しています。来年は、ロンドンのセント ジョージ ホスピタル トラウマ病棟の募金活動の一環としてスカイダイビングにも挑戦する予定です!
今はストーマがあることを誇りに思っています。ストーマがなければ、私はここにいなかったでしょうから。
複数回にもわたる検査とテストの結果、ストーマを閉鎖しても以前の身体には戻らない可能性が高いと告げられたことを受け、私は、リスクを回避するためにストーマ閉鎖は行わないことを決めました。そして 2009年8月に再手術を受けました。大型のループ式ストーマは取り除かれ、新しい単孔式のコロストミーが造設されました。ストーマが以前よりも大幅に小型化し、下腹部に付けられたため、通常のサイズのストーマ袋を使い、普通の下着を付けられるようになりました! そのことがうれしくてたまらなかったので、退院してすぐに新しい下着を買いに行ったほどです。
いま私は自分の着たい服を着ており、ストーマによって自分のスタイルが変わったということもありません。ですが、新しいストーマを造設するまでは、ストーマが服の下にあっても目立ってしまうほど大きかったため、着れるものの選択の幅が多少狭まったように感じていました。そのため、ゆったりと余裕のあるものを選んで着るようになりました。ところが再手術を受けてからは、前よりも自由に服を選べるようになり、ストーマのことをあまり気にせずに、ぴったりフィットするトップスも着れるようになりました。ストーマ袋の上の部分が小さく、面板の初孔の位置が中心からずれているため、ストーマ袋が上に突き出ることもなくお腹の下の方に固定できるので、嬉しいことに服の上から見てもわかりません。
いま私は、ストーマ保有者の人々に関連した慈善団体の活動に積極的に参加しその活動をサポートするとともに、ストーマを造設しても何不自由なく生活できるということを伝えて、同じ状況にいる人々を励ましています。2009年4月に、オストミー ライフスタイルのファッションショーを開きました。私はそのことを大変誇りに思っています。
最近では、事故から 3 年経ったことを記念することと、私の友人の死を追悼する目的で募金活動イベントを企画しました。ライブのコント、2 組のバンド演奏、くじ引き抽選、無料の食事サービスなど、本当に充実した夜のひと時となり、2,100 ポンドもの募金を集めることができました! この日集まった募金は、私の命を救ってくれたセント ジョージ ホスピタルの救急病棟と集中治療室に寄付しました。
いま私は、統合リレーショナルカウンセラーになるための訓練を受けており、病院内のトラウマ カウンセリングを専門にしたいと考えています。トラウマ カウンセリングがいかに重要で患者のためになるかは、私自身が経験してわかっているからです。また、募金活動イベントを企画した経験を心から楽しむことができたため、その方面の活動も検討しています。
ストーマ装具
漏れがあった場合にストーマ周囲の皮膚が炎症を起こすことがありますが、それよりもストーマ袋を何度も交換しなければならないことが炎症の原因になっていると考えられます。そのため、面板は肌にやさしい素材であることが必要です。また、下腹部の身体の線に沿って曲げられるよう、薄型で柔軟性に優れていることも求められます。
ストーマ袋の周りが柔らかい生地になっていることも私にとって重要です。ストーマ袋が膨張しすぎないようにするために、フィルターもとても重要です。ストーマ袋が膨張した場合は、たまった空気をフィルターですばやく慎重に排出できなければなりません。これが正しく行われないと、ストーマ袋が服の上からもわかるようになり、とても恥ずかしい思いをすることになります。
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