一時的ストーマ、永久ストーマに関わらず、ストーマを造設することで生活スタイルが変わることもあれば、変わらないこともあります。個人差はありますが、ストーマのある生活に慣れるまでに多くの時間がかかる場合もあるかもしれません。どのように対応するかは状況によって異なります。ストーマのある生活を送られている方々のご経験を紹介するストーリーを集めました。参考にしてみてください。
1990年に娘のミシェルが生まれてから、私は血液や粘液が混ざった便に悩まされることが多くなりました。最初はあまり心配していませんでしたが、症状が悪化してほぼ毎日下痢をするようになったので、医師の診察を受けました。特殊な軟膏も座薬も効き目がなく、病院で専門医を紹介され受診した結果、潰瘍性大腸炎と診断されました。その病名は聞いたこともありませんでした。しかし薬のおかげで大腸炎の症状は適度に治まっていきました。
1992年に次女のルイーズが生まれました。三女のクラウディアが 1995 年に生まれてからは、病状がかなり悪化しました。夜には 25 ~ 30 回もお手洗いに行かなければならなくなりました。血液と粘液の混じった水様性の下痢が溢れ出てくるのです。本当にひどい状況でした。日中に水分をたくさん摂って、体液のバランスを安定させようとしました。数週間もしないうちに私は入院することになりました。その時クラウディアはまだ生後 1 か月、ルイーズとミシェルは 3 歳と 5 歳でした。
私の病気や入院は、家族にも家庭環境にも大きな影響を及ぼしました。夫は大工ですが、家事を手伝うために勤務時間を変えなければなりませんでした。週 40 時間、3 人のホームヘルパーさんに来てもらっていました。クラウディアは赤ん坊だったので、数か月の間、私の両親のところで暮らすことになりました。家族全員にとって辛く不安なときでした。私は強い薬を投与されていて、多くの人は私が生きて病院から出ることはないだろうと思ったようですが、3 か月の入院を経て、ようやく家に帰ることができました。それから数年間、私は数回の入退院を繰り返しました。
今度は癌?
1998年、私はあまりに具合が悪いので外科的選択肢について専門医に相談しました。専門医は手術やストーマについてのパンフレットをたくさんくれました。ストーマに関する資料を見て、私は震え上がりました。思わず目を背けてしまうほどでした。ところが、私の病状は悪化し薬が効かなくなってしまいました。専門医が最後の試みとして別の薬剤を試したところ、効果がありました。少し体力が回復してきたので、私は術前検査を受けました。しかし、衝撃的なことが判明しました。テニスボールほどの大きさの腫瘍が膵臓にできていることがわかったのです。手術は延期となり、私は大学病院の腫瘍専門医のもとに行くことになりました。1999年に腹腔鏡下膵尾切除術が行われ、腫瘍と一緒に膵尾部が切除されました。脾臓も残しておくことができませんでした。病理学検査の結果、腫瘍は悪性であることがわかりました。世界が崩れ落ちたような気分でした。癌だったのです。どうしても信じることができず、回復に専念することにしました。私も家族なしでは生きていけないけれど、家族も私なしでは生きていけない。そう思いました。幸いなことに、私は早々に回復して家族の世話ができるようになりました。
1 年後の2000 年、夫が頸椎ヘルニアで倒れ、対まひになってしまいました。緊急手術を受けましたが、脊髄が大きな損傷を受けており、回復には時間がかかりました。私は最初の子が生まれて以来働いていませんでしたが、家庭の状況が劇的に変わり夫が終日の在宅療養に入ったため、仕事を探しに行きました。いくつか夜間課程に通った結果、幸運なことにすぐに仕事が見つかりました。
2001 年に大腸炎が再発しました。私は大学病院で緊急手術を受け、結腸を切除してストーマが造設されました。私は結腸がなくなってくれたことをとても嬉しく思い、ストーマが全然気になりませんでした。それどころか大好きになりました。友達が時々、私がストーマを付けていることが気にならないか夫にたずねることがありました。夫の答えはこうでした。「ストーマがほっぺたに付いていたって気にしないさ。彼女はもう病気に苦しめられなくていい。そっちの方がずっと大切だよ!」
ストーマの管理もうまくこなせるようになりすぐに仕事に戻りましたが、私は回腸嚢肛門管吻合術を希望するようになりました。ストーマがないお腹を取り戻し、通常の方法でお手洗いに行けるようになりたかったのです。2002 年に、回腸嚢肛門管を再建しました。手術後数か月は問題なく過ごせましたが、しばらくして大腸炎が再発して私は垂れ流し状態となってしまい、トイレから離れられなくなりました。耐えがたい状況となったため、2003 年末にストーマを再度造設してもらいました。熟考したうえでの選択でしたが、賢明な選択だったと思います。
私にはストーマがありますが、ほぼ何でもできます。モーターバイキング、サイクリング、乗馬、スイミング、キャンプなど、何でも大丈夫です。オートバイは解放感を与えてくれます。エンジンの感触は最高です。連休の週末にはキャンプに行くのが好きです。長女と一緒に家の向かいの森で乗馬もします。私は道路建設用製品の製造と販売を行う貿易会社で、正社員としてアカウント マネージャーを務めています。顧客先を車で訪問することもよくあり、年に約 15 日は見本市に参加しています。週末には自動車レースが開催されるサーキットの VIP ボックスのバーで働くこともあります。忙しく活動的な生活を送れて、最高の気分です。
もちろんすてきな洋服を着たいときもあります。ストーマを隠すのは難しいことではありません。私は頻繁にパウチを空にするようにしているからです。ごくまれにですが、漏れが生じたことがあります。初めは大きなショックを受けましたが、今では取り乱すこともなく、装具を交換して物事を進めます。いつでもストーマ装具を持ち歩くようにして、車内や職場にも 1 組置いてあります。私は二品系装具を使用しています。これが私には一番合っています。面板は数日付けたままにできるので、ストーマのパウチを 1 日数回空にして、毎日交換しています。
夫も頸椎ヘルニアから無事回復し、ここ3年ほど国際運輸トラックの運転手として働いています。子供たちもこの数年は大変だったと思います。それでも、いつもたくましさを失うことなくここまで育ってくれました。とても誇りに思っています。私が40歳を迎えたとき、子供たちは私のために美しい詩を書いてくれました。皆が感動しました。子供たちがどのようにこのような大変な時期に対処してきたのかを聞くことができて、本当に感心しました。我が家の3人の娘たちは、健全な姿勢で人生に臨むすばらしい子たちです。今では15歳、18歳、20歳になり、勉強に励んでいます。
ストーマのおかげで私はたくさんの良いことを経験しました。すばらしい人生を送ることができてとても幸せです。
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