暗闇を光に変える: リアム・マニングの体験談

リアムは、オストミー手術後の体験と、トンネルの先に見える光について語っています。

リアムのオストメイトとしての新しい生活についてご覧ください。

25 年に及んだクローン病との闘病後、リアム・マニングに残された選択肢は回腸ストーマの緊急手術以外にありませんでした。 深刻な再燃と命にかかわる合併症が続き、通院は長期にわたり、腸の 90% を切除しました。

リアムはこの期間を「人生で最悪の時期」だったと言っています。術後は、敗血症や抑うつ症、今後、父親としての役割を果たせないのではないかという不安と闘う中で、彼の精神状態は急速に悪化しました。 しかし、手術によって、明るい未来のための礎がひそかに築かれていたことを彼はほとんどわかっていませんでした。

リアムは、精神的疲労の激しい時期に対処することがどのようなものであったかを自身の言葉で次のように語り、時間が経つうちにありのままの姿でいることをどのように心地よく感じられるようになっていったかを説明しています。


私は、クローン病にかかって約 27 年になります。 この間、常に続く疲労感とひどい腹痛、度重なる手術、考えつくほぼすべての処方薬を受け入れていくしかありませんでした。 大変だったなんてもんじゃありませんでした。

病状が最も悪化したのは 34 歳のときで、このとき私は、複数の生物学的製剤 (これにより免疫系が抑制されました) と大量のステロイドを服用していました。 当然、治療法はすぐに尽きて、ストーマの可能性を意識するようになりました。 ただ、こんなに早くなるとは思っていませんでした。

多分、この時期の私にとって精神的に最もつらかったことは、私を怠け者と見なし、理由もなく仕事を早く切り上げようとしていると思っている職場の同僚への対応でした。 これらの経験から私は、人からどのように見られているかを恐れて自分を限界まで追い込んではいけないし、人の見方を変えることはできないのだから、エネルギーを自分に向けるべきだということを学びました。


「毎日通院することになりそうだと考えたことは、私の人生で最もトラウマとなる経験の 1 つとなっています。」


2017 年 8 月に、私の身体はとうとう耐えきれなくなりました。 毎日通院することになりそうだと考えたことは、私の人生で最もトラウマとなる経験の 1 つとなっています。 身体が腸を拒絶し、機能しようとしませんでした。 代わりに、手術チームは私に、大腸の 90% を切除して永久的な回腸ストーマの造設をするしかないと告げました。

ご想像のとおり、この宣告によって私の精神状態は一線を超えました。 呆然自失し、泣き、これからどうなるのかと悩みました。 私の将来はどうなるのか。 なぜ私なのか。 恐怖におののき、弱気になりました。 正しい質問ができていないことも怖く、正しい質問が何なのかがわからないことにさらに苛立ちました。 もちろん、いつかこうなるかもしれないとはいつも思っていましたが、こんなに早くこうなるとは思っていませんでした。 少なくとも、今ではなかった。

理想の話で言えば、私は手術を覚悟していたはずだし、服用していたすべての生物学的製剤をやめる時間は十分にありました。 しかし、状況はあまりに深刻ですぐに行動に移すことができず、大手術から回復しようとする衰弱した身体が残されました。

人生で最悪の時期

私は 12 週間入院しました。 その大半の時間、私はベッドから動けず、食べることも飲むこともできないまま、敗血症や細菌感染症と闘い続けました。 さらに悪いことに、外科的創傷が開いてしまいました。

このときが私の人生で身体的にも精神的にも最悪の時期でした。 私は弱り、体調も悪く、私に起きていることを受け入れようとしながら泣き続けていました。 どん底まで落ち込んだときには、明日はもう来ない可能性を受け入れるようになっていました。 私だけでなく、身近な家族も同じでした。 私が家族にどんな苦労をかけるのかを想像できませんでした。 障がい者になり、残りの人生をベッドで動けず横たわり、妻や子供たちの負担になるだけだと繰り返し考えていました。 これらをすべて受け入れるにはあまりに多すぎました。

入院していたこの日々に家族は本当に私を支えてくれました。 妻のロビンは、私の世話をしながら彼女の生活と仕事と 3 人の子供たちの世話をなんとかこなし、姉のゾーは病院の固い革のイスで幾晩も寝ていました。 両親も信じられないほど私を励ましてくれました。 家族に助けられて、私は自分の未来を信じ始めました。 振り返ってみて言えることは、家族の愛とアドバイスがなかったら、全く違う結果になっていただろうということです。


「私は体調がとても悪く精神的にも疲れていたので、すべてを否定的に考えていたようです。」


この時期、私は 9 歳の娘を病院に見舞いに来させないという苦渋の決断もしました。 これはそれまでの決断の中で最もつらいものの 1 つで、私の精神状態は大きく損なわれました。 妻は生後 9 週の息子を病院に連れてきてくれたので、私はずいぶん救われましたが、もしかしたら一生病気のままで、いつも夢に描いていた頼りになって面白くて活動的な父親になることなどできないのではないかという不安も強まりました。 私は体調がとても悪く精神的にも疲れていたので、すべてを否定的に考えていたようです。

このときの私は間違っていたと言えます。 思考が必要以上に暗い場所に迷い込み、人生がこうなってほしいという肯定的な考え方ができませんでした。 現在、私はそうなりたいと願っていた活動的で溌剌とした父親です。 当時はわかっていませんでしたが、私の人生は明るい未来に向かって静かに強固な礎を築いていたのです。

数か月にわたる苦しみの後、ビーチサンダルを毛糸の帽子に替えて (冬になっていました)、新しいストーマ装具とともに私は退院しました。

ストーマのある生活

ストーマ造設後の新しい生活は、手術合併症を含むあらゆる合併症のためにゆっくりと始まりました。 私にとって重要なことはまず回復に向かうことだったので、新しい身体を理解するには都合の良い状況でした。 また、うつ病の発作とも闘っていました。 手術の後、身体の回復に時間がかかったため、私は何か月もこのような考えにとらわれていて、このことが私に重度の障がい者としての生活を想像させました。 このような消極的思考がたびたび私を誤った方向へ導き、いつも最悪の想像をしていたと言ってよいでしょう。

驚くことに、私の新しいストーマ装具の管理方法はかなり実践的でした。 私は既に日々の生活で多くの友人や家族、看護師に頼りきりだったので、ストーマでまた誰かの世話になるのは嫌でした。 ストーマは生涯をともにするもので、それをコントロールするのは私次第だということもわかっていました。

ストーマ造設手術を受けたばかりの人には、自分に厳し過ぎないようにと言いたいです。 怒ったり、動揺したり、恥ずかしい思いをしたりすることがあっても当然です。 新しく始まった生活のつらい経験からストーマが嫌になるかもしれませんが、それらの経験のお陰で明日はよりうまく過ごせるようになります。 ストーマ造設手術を受けて生きていくことは、自転車の乗り方を覚えるのにとても似ています。ちょっとつまずいたり失敗したりしながら、うまくなっていくのです。

理解不足が、心の中に間違ったシナリオを作り出すことはよくあります。 ゲームの世界なら、私たちは未知と恐怖に満ちた新しい「レベル」を好んで作りますが、これらは現実の世界には存在しません。 このような考えが現実を形作っていくことで、うつ病や精神的な不調が不必要に引き起こされます。 実際にゲームをしてみないと、終わりのない悲観的なことばかりではないことがわかりません。 私は、このことが手術をするまでわかりませんでした。


「ストーマのせいで、行動が制限されることはありません。実際、以前の生活よりも肉体的にも精神的にもきつい活動ができるようになりました。」


未来

3 年という歳月が私をとても元気にしてくれました。 毎日が、想像もできなかった新しい健康な自分を生み出しているように感じます。 ストーマのせいで、行動が制限されることはありません。実際、以前の生活よりも肉体的にも精神的にもきつい活動ができるようになりました。 ストーマがあることすら忘れることがあり、とても快適です。 だからといって、この幸せな生活が常に前向きなわけではありません。過去の日々がまだ記憶に新しいので、自分の経験から慎重になることもあります。 でも、正直に言うと、私は自分の将来を楽しみにしています。

私は自分が得た知識から、同じ問題を抱えている人にストーマがあることのメリットを考えてみるよう勧めます。 将来の前向きな目標を設定して、今すぐ今日という日に集中しましょう。 その間の道のりは気にしないでください。その大部分は突発的で予想外なことです。 ストーマが永久的なものか一時的なものかに関係なく、明るい未来に向けた準備を始めましょう。 新しい自分を受け入れ、そして何よりも、自分を愛することを学んでください。 私がそうしてきたように。